函館パッケージ展
『ストーリーが知りたい』市の担当職員はパッケージデザインに社風やこだわりが反映されると物語の必要性を説いていた。
二年以上スパイスカレーを提供している『朝食屋さとう』の市販化に向けた行動はどんな原動力があったのだろう。ただ、コロナの影響で売り上げが悪化した悪足掻きなのだろうか?
答えを探すなら、創業当時の気づきから既に市販化の願望が現れていた。当時は缶詰を模索して遠い未来の話と片付けたのだった。
愛知県に働きにでて、呉服や眼鏡屋との出会いがあった。
工業化の流れの中で、機織りの人手を減らし、月賦を収めて故郷に錦を持ち帰るという細やかな夢を抱く労働力を手放した産地があった。誇りを失い、業績に蔭りが現れると、より安価な物で差別化を図り、海外製品を産地未表記で商い始める。
価格競争の行きつく先が示されている気がした。しかし、呉服業界は産地を選び職人を定め、付加価値のある品を提供すること、また、顧客にしっかりと説明する能力を磨く事で、満足を演出する商売を行うようになっていた。
一度誤った道に進んだ失敗に学び、商いの本質に戻ろうとする姿勢があった。
眼鏡屋も有名ブランドを扱うのではなく。良いと思ったものを選んで取り揃えていた。個人店だからこそ、カッコよさやニーズを察知して行動する他に、海外の見本品を扱う意欲もあった。イタリアの職人がセルロイドを削る一本の受付時の注意事項はこうだった。
「職人さんだから、バカンスと重なると二、三か月作業を始めるまで時間がかかるけど良いかい?」
欲しいものは手間や時間も掛かる。それでも欲しいと思えるものを納得のいく流れで提供する商売があった。
生モノを扱う商売は焦り過ぎていないか。缶詰は長期保存する為の方法だった。
されど、食に携わると、本物が意味するものが分からなくなる。
朝食屋で、鰹節から出汁を取り、みそ汁やだし巻き卵を提供していた。提供までに掛かる時間を短くしようとすると作り置きするほかなく。手間や時間が価値に反映出来ない状況も続いていた。
一部には、「出汁入り味噌を解いて提供するだけで良い」と、求める本物が求められていないと切り捨てられる言葉も掛けられた。原価の都合で煮魚を一口分しか提供できないこともあった。
しっかりとした朝食を提供しよう試みた結果、満足の行く形で提供できるものが、当店ではスパイスカレーだった。
冷凍品や揚げ物、素材調達方法を変えれば可能な理想だったのかも知れないが、成しえなかったことを失敗と片付けて次に進んだ。作りたい本物の形に早い段階で辿り着いた創業二か月目のカレーを、朝食屋さとうの武器と決めたのだった。
その武器で何が出来るのだろう?
京都の問屋さんは、反物を武器に外からお金を集めている。函館も美食の街ならば、店ごとの武器を輸出して道内外からお金を集めてもいいのではないか。
土地の市場規模に流されない。付加価値のある商品開発を模索し続けた。
結果、道内の四件の有機農家さんと二件の有機加工食品業者、道外の一件の有機農家さんと三件の有機加工食品業者の素材を使った。九十九・五パーセント有機の惣菜カレーが出来上がった。発酵乳の素となる種菌から目を逸らして、有機百パーセントカレーと名称をつけたいところですが、真面目に申告致しました。
産地や原材料にこだわって嗜好品と呼べるカレーを作った。それが『能力を認め合える。働きに対価を支払える』社会の始まりになる。
コロナで経済が縮小する中、生活への比重が大きくなっていく。有機という看板は嗜好品染みたブランドの側面を持っている。そのため、今は逆風が吹いている時期なのかもしれない。しかし、伝統や文化は繋ぐ意思と支える努力があって遺るものである。食文化に有機を供給する商売を通して、有機農業従事者の働きを支え、食生活の多様性を訴えられたのなら、外食や食品製造業の未来に希望が生まれるのだろう。
パッケージ展に合わせて開発したカレーは、鶏肉を大豆に置き換えて、有機JAS認証を取得する予定としました。食品に偽物がある訳ではない。もやもやの正体は価格帯に合わせた妥協路線か、こだわり抜いた逸品で勝負する路線かの分かれ道で、立ち往生していただけ。
現状に妥協せず、未来を作るために提案する。そういう事の繰り返しですが、価値を高める方向に舵を切りたいと願うのです。
2020年7月 荒湯制作所、代表佐藤隼人